|うねめファームのこだわりポイント|えさにもこだわり|うねめファームの歴史|
場主の思い うねめファームのこだわりポイント
開放型であかるい鶏舎
うねめファームの鶏舎は自然の光と風を取り入れる開放型鶏舎です。大型ファンもあって真夏でもそれほど暑くなりません。鶏にとってストレスの少ない環境づくりの一つです。
写真をご覧下さい。通路は常に清潔であることを心がけています。また、FFC テクノロジーの採用の効果の一つとして、このような養鶏場にありがちな鶏の排泄物由来のアンモニア臭はほとんどありません。
個室型鶏舎でゆったりめの飼育
1ますに2羽以上飼育する「密飼い」は、鶏にストレスを与えます。うねめファームでは個室になっているので鶏のストレスを軽減できていると考えます。
お客様の求める品質のたまごを、リーズナブルなコストでお客様にお届けすることを考えますと、このような鶏舎が一番です。
FFCテクノロジー「元始活水」噴霧
うねめファームではFFCテクノロジーを採用しています。その一つが元始活水噴霧装置。上水道を特殊なセラミックスにとおし、「元始活水(動植物が本来持っている生命力を発揮できるといわれています)」を生成。20ミクロンの霧状にして鶏舎内に約50分おきに噴霧しています。
霧の噴霧によって鶏の生命力を本来のものに維持できると考えています。また夏なら大型ファンとあいまって冷却効果も期待できて一石二鳥と思います。
人の目で品質を確認、出荷
新装完成した出荷センターです。明るく清潔な作業場でたまごのサイズ選別、汚れや割れの除去、クリーニングをしてお客様に発送しています。
人の目で検査し、出荷します。安心をお届けします。
お客様とのコミュニケーション・たまごノート
近隣に3カ所あるたまご自動販売機。そこには「たまごノート」が置かれ、ご意見、ご要望をお聞きしたり、改善のために活用しています。中にはお褒めのお言葉もいただくことがあり、励みになります。このたまごノートはお客様とのコミュニケーションツールです。
このページの先頭へ
場主の思い えさにもこだわり
鶏の健康を考えたブレンド飼料
当農場では、鶏の健康を第一に考え、飼料の栄養にも気をつかっています。飼料には魚粉や、海藻、ニンニクなどをブレンド投入。その他にもこれまでの経験から編み出した当農場納得のオリジナルブレンドを数種おこなっています。
最後にFFCテクノロジー「パイロゲン」をプラス
オリジナルブレンド飼料の最後の仕上げはFFCテクノロジー、パイロゲンの配合です。パイロゲンは、清涼飲料水ですがFFCテクノロジーを利用しております。生物が本来持っている生命力、免疫力を生かすといわれています。飲用としてはもちろんのこと、希釈して農林水産業へ活用されています。
うねめファームはいち早くFFC テクノロジーを取り入れ、同業の皆さんにも紹介してきました。
飼料にまんべんなく混ぜ、飼料の機能を高めています。
このページの先頭へ
場主の思い うねめファームの歴史
釆女ファーム以前
私、釆女道義は農業高校に学び、卒業後は4Hクラブ(農業青年クラブ)に属して花きの販売などに従事していました。それらの活動から、自分で値段を付けることのできる農業がしたいと考えるようになり、実際にそのような作文を書いたりしたことがありました。
この経験は将来養鶏場を営むことの伏線になるのですが、その後は高度経済成長期の日本では高収入を期待できた運送業に従事していました。
運送の仕事は期待通りの収入があり、15年間の生活を潤してくれ、生活の基盤を確固たるものにしてくれました。
養鶏に着手する
笠岡地方は昔から日照時間が長く、福山に雨が降っていても笠岡には雨がふらないといわれるほどでした。
明るい時間が長いと鶏の産卵率はよくなります。昔からこの日照時間の長さをいかしてこの地方では養鶏が「適地適作」となっていました。
私の父もまた養鶏を営み、それを休みの日に手伝うなどしているうちに、養鶏の面白さや4Hクラブ時代に考えていた「自分で値段のつけられる農業」ができるのではないかとの思いがわいて出るようになりました。
父の反対もありましたが昭和57年から養鶏に取り組みはじめました。まだ30代の半ばでした。
養鶏に着手した当時は、密飼いもしました。
一ますに二羽という密飼いをしていると鶏糞の発生もなみたいていのものではありません。鶏糞の廃棄場に困るようになり、先祖が、猪子で撞いて作った田の一部を、その苦労も顧みることなく鶏糞の処分場にしたこともありました。(猪子(いのこ):人力で石を使って土地を踏み固める道具。機械化の進んでいない時代に土木作業で使用された。)
このときに、急な、原因不明の悪寒に襲われた私は、「これはきっと先祖からの忠告に違いない」と、田を残してくれた先祖に改めて思いを馳せ、それまでの養鶏に関する考えを改めました。生産性のみを追求するのではなく、昔のたまごの味を目標に、お客様が指名して買ってくれるようなたまごを目指すようになりました。
理想のたまごを求めて
昭和57年から始めた養鶏ですが、収支は厳しく、事実、周辺の養鶏場では倒産したり家屋敷を失ったり、という厳しい話はゴロゴロありました。
うねめファームも同じで、運送業で築いた財を大きく食いつぶしてしまうことになりましたが家内の協力もあって二人三脚でなんとかしのいでくることができました。
昔からの夢であった「自分で値付け」をすることのできる農業をめざし、卸を通すことをやめ直接販売を志しました。
「どういうたまごなら売れるのか」「リピーターを作るためにはおいしく、安全・安心でなくてはならない」と考え、えさにこだわり、魚粉や海藻を採用しました。また鶏舎がにおわないことも大切。そのためには、水が大きな決め手だと考えるようになりました。
思いが実る
平成7年にはたまご自動販売機を導入、平成9年頃からは、えさや水、飼育方法のトライ&エラーを繰り返してきました。養鶏業会で他に先駆けてFFCテクノロジーを導入し、えさや水の改質に納得のできる効果が出始めます。たまごに臭みがなく殻の厚さや、黄身、白身の盛り上がりも理想に近づきました。平成10年には、第41回岡山県卵質改善共励会出品のたまごが農林水産大臣賞を受賞するなどその品質が認められるようになりました。
養鶏をはじめて30年あまり。その前半は試行錯誤の連続で厳しい日々が続きましたが、鶏の健康を第一に、水とえさに一貫してこだわってきたことがよい結果を生んでくれたと思います。近年は、より多くのお客様に召し上がっていただけるたまごを目指して岡山大学との共同研究も始まりました。
農業は自動車にとってのガソリン、農業に元気がないと産業全体も元気がでません。農業で自立、食べていける方法を学ぶことが農業学校卒業者の責任であると考えています。